皇帝の血族として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 10:33 UTC 版)
「ユッルス・アントニウス」の記事における「皇帝の血族として」の解説
アウグストゥスは、ユッルスの兄マルクス・アンティッルスや義兄のカエサリオンらを処刑する一方、アンティッルス以外のアントニウスの遺児、すなわちユッルスや大アントニア・小アントニア姉妹、そしてクレオパトラの間に生まれた3人の子らには寛大な対応を見せた。彼らはオクタウィアの元でローマ市民として育てられ、ユッルスはこの継母の引き立てにより、宿敵の子であるにもかかわらずアウグストゥスからの寵遇を受けることとなった。 ユッルスはオクタウィアの求めにより、オクタウィアがマルケッルスとの間にもうけた娘(即ち皇帝の姪)大マルケッラと結婚する。マルケッラは元々アウグストゥスの盟友アグリッパの妻だったが、アウグストゥスが自身の娘ユリアの再婚相手にアグリッパを指名したため、紀元前21年に離婚させられていた。2人の間にはルキウス、ガイウス(もしくはユッルス)、ユッラ・アントニアの3人の子が生まれた。この内、ガイウス(もしくはユッルス)は恐らく若くして亡くなったと思われる。 ユッルスは紀元前13年にプラエトル、紀元前10年にはコンスル、さらに紀元前7年にはアジア属州総督に就任するなど、アウグストゥスからの尊重を受けていた。またユッルスもアウグストゥスのために、ガリアでの戦勝を称える詩を書こうとしていたとホラティウスが言及している。ユッルスは詩人でもあり、12編の詩を書いたことが紀元前13年以前に「Diomedia」に記録されており、これは現在まで残っている。
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