百体観音堂
百体観音堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 04:22 UTC 版)
当院には、「百体観音堂」という堂宇がある。福島県会津若松市の旧正宗寺三匝堂、群馬県太田市の曹源寺本堂とともに、「日本三大さざえ堂」の一つである。堂の内部が螺旋構造になっていることと、外観がサザエに似ていることから「さざえ堂」と呼ばれている。 1783年(天明3年)、浅間山の天明大噴火で、吾妻川に大量の土砂が流入、利根川流域に大洪水を引き起こし、多くの死者を出した。当院住職の元映は被災者の菩提を弔うための観音堂建立を発願した。そして1788年(天明8年)に遂に完成した。この観音堂には百体の観音像が安置された。この内60体が江戸からの寄進で、その内の2体は吉原遊廓からのものである。吉原の遊女の中には、被災地となった上野国(現・群馬県)出身者も多かったとみられている。 しかし、1888年(明治21年)の失火で全焼した。現在の堂は1911年(明治44年)に再建されたものである。
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