白木屋乗っ取り騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 01:30 UTC 版)
「白木屋 (デパート)」の記事における「白木屋乗っ取り騒動」の解説
日本の経営史上に残る経営紛争の一つ。 1949年(昭和24年)、日本橋交差点の好立地にありながら業績が伸び悩んでいた白木屋に対し、当時繊維関係の商社を経営していた横井英樹が株の買い増しを開始。経営権の獲得を目指し買い占めを行っていたが、1953年(昭和28年)に日活社長の堀久作の持株と合わせると同社の過半数の株式を掌握することが判明したため、両者は共謀。白木屋に対し両者の役員就任等を迫った。間もなく堀は白木屋株を山一證券へ売却してこの一件から手を引いたが、1954年(昭和29年)遂に白木屋経営陣と横井は全面対決をすることとなり、両者がそれぞれ株主総会を実施して役員を選出するといった異常事態になった。慶應閥一族が経営する名門百貨店としては「どこの馬の骨かわからない人間に経営を任せるわけにはいかない」と横井の追い払いに躍起となった。 当時横井を金融面で支援していたのは堀とも繋がりを持つ千葉銀行であったが、1955年(昭和30年)千葉銀行は横井が金策で行き詰まってきたため、東急グループ総帥の五島慶太に支援を要請。五島は熟考の末事態の収拾に当たることとし、横井および元々堀が保有していた株式を買収して経営権を掌握。結局横井は白木屋から手を引き、東急が業績不振の白木屋を再建する目的で買収する形を取ることとなり、乗っ取り騒動は一件落着した。 横井はこの一件で当時「希代の仕手屋」(グリーンメーラー)としてその名を轟かせることとなる。
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