発生学への発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/29 00:53 UTC 版)
上記のように後成説が確定的になったのはメッケルがヴォルフの論を紹介した後である。それ以降、後成説は広く認められるようになり、それを継承した発生学的研究が広く行われるようになった。その意味で、ヴォルフの後成説は発生学の基礎を固めたものといえる。 また、ほぼ同時期の細胞説の成立も、発生学に大きな影響を与えている。細胞説が広まるやまもなく、R. A. ケリカーは、精子が精巣で作られる1個の細胞であることを1841年に報告、卵についてもカール・ゲーゲンバウアーが1861年にこれを確認し、発生は細胞レベルで調べられるようになった。また、これによって種子や蛹を卵と見なすような過ちも解消された。なお、ヴォルフは細胞説以前にある程度それに近い考えを持っていたらしく、彼が後成説を強く主張したのはそこにも一因があったようである。 後成説を継承する代表的な学者であるベーアは胚葉説を唱えたが、これはヴォルフの説をより具体化したものと言っていいだろう。この説は、様々な動物の発生において、まず胚はいくつかの細胞の固まりである胚葉に分かれ、それらから器官が作られる、というものである。彼は比較発生学を発展させ、胚葉から形成される器官はどの動物でもほぼ同じであること、胚は発生の初期ほど他の動物に近い形を取ることなどを発生の過程の特徴として取り上げ、これを発生根本法則と称した(現在ではベーアの法則と呼ばれる)。このような見方は後にヘッケルによって反復説という形に読み直される。 他方、ヒス (1850-1924) は胚葉の折りたたみによって様々な器官が生じると論じ、これに関わる機構を解き明かそうとした。この方向は後にルーによる実験発生学への道を開くことになる。
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