畑賀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 05:53 UTC 版)
「大正15年9月広島豪雨災害」の記事における「畑賀」の解説
以下、広島市立畑賀小学校敷地内にある「畑賀村水害碑」より。 呉娑々宇山の南側に位置するこの地は中小の渓流が多く、久賀谷・横井手・西垣内・水谷・為角の各渓流が畑賀川に流れ込み、そして瀬野川に合流する。 9月11日未明、連日続いていた豪雨により各渓流で土石流が発生し、畑賀は荒廃の地と化した。家屋・田畑・道路・堤防・橋梁と多くは流出し、死傷者を出した。被災者100人を村校(畑賀小)に収容し、6日間かけ行方不明者を捜索した結果、死者35人発見、1人行方不明のままとなった。復旧工事には近隣市町村からの応援含め2万5千人と陸軍第5師団工兵隊600人であたり、一応の応急処置が行われていた。 そこへ9月23日未明、再び豪雨により畑賀川は決壊する。土砂が山陽線中野駅まで到達し線路を決裂し山陽本線特急列車脱線事故を引き起こした。 以降、国の補助や県による直轄工事として復旧工事が進められ、1930年(昭和5年)全ての復旧が完了した。 鉄道線路付近 巨岩流出 畑賀村水害碑
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