田畑・龍氏として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 02:19 UTC 版)
薩摩藩の統治下も奄美の領域支配に深く関与し続け、1726年に藩政への貢献(砂糖増産のための新田開発)を主な理由として、第12代・佐文仁為辰(さぶんに ためたつ/1678-1784)が、奄美で初めて代々外城衆中格(後の郷士格)に取り立てられ、薩摩藩主より「田畑」姓を与えられる。その時点において奄美で公式に名字を名乗れたのは田畑氏のみであった。『和家文書』によると、1783年にさらに1家、1818年から1850年の間に40家が郷士格に取り立てられているが、その内36家は砂糖献上、他の4家は唐通事(通訳業)によるものであり、新田開発を理由とするのは1726年の田畑氏のみである。 1785年に、本領との差別化を目的とする政策により一字姓への改姓が強いられ(第8代藩主・島津重豪の時代)、本拠地であった龍郷(たつごう)の一字をとって龍(りゅう)に改姓する。 ちなみに、西郷隆盛が奄美に蟄居していた時期に暮らしていたのが龍郷町であり、龍家に預けられ、その庇護を受ける。島妻となる愛加那は、田畑氏(龍家)の分家筋の娘である。 奄美の本家筋等は明治になってから田畑に復姓するが、それ以前に本領に移住していた分家筋他は、龍への改姓後も田畑氏のままであったと考えられている。
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