田村三夫
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田村 三夫(たむら みつお、1932年6月20日 -2016年11月)は、東京都中央区出身の元レーシングライダー、元レーシングドライバー。
- ^ 新明和工業(ポインター)の東日本総代理店。'50年代の一時期には「キリン号」という自社ブランドの2輪車(ポインターのエンジンを使用)を製造販売していた。
- ^ ただし身分は機輪内燃機工業の社員のままであり、賞金などは社長に吸い上げられていたという。
- ^ 上の立場の選手の命令を断り切れなかったという。
- ^ トヨタとつながりの強かった山田輪盛館(老舗2輪商)が仲介したという。以前に勤務していた機輪内燃機工業の社長が、山田輪盛館の出身だったという縁がある。
- ^ 当初のメンバーは細谷四方洋、田村、福澤幸雄の3人。
- ^ 観客席から飛んだ新聞紙がラジエターをふさぎエンジンがオーバーヒートするというアクシデントに見舞われた。
- ^ 5人のワークスドライバーが交替で78時間の連続走行を行った。
- ^ 日産ワークスのリーダー格だった横山達から熱心に誘われていたという。
- ^ 排ガス規制対応などでレース活動が縮小された影響と言われる。
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