田原紹忍
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初登場時に島津兄弟に“カニ怪人”と呼ばれて以来、本名は不明のままだったが、7巻で本名が判明(おまけマンガでは「親賢」名義で登場)。 宗麟の正室の兄に当たり(7巻おまけマンガでは宗麟が紹忍を「お義兄さん」と呼ぶ一幕もあり、後ろ姿ながら宗麟の正室もわずかに姿を見せている)、宗麟の側近的ポジションにある。一応宗麟を諌めはするものの道雪らと違って結局は従ってしまうことが多い。宗麟に対するツッコミを口に出さず心の中にしまっておくこともしばしばである。しかしそのため、宗麟に代わって責任を取らされる対象として、道雪にひどい目に遭わされそうになることも少なくない。かつて義鎮(後の宗麟)の失態を取り繕うために戸次鑑連(後の立花道雪)が義鎮を出家させた際も、巻き添えを食らっている。
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田原紹忍(たわら じょうにん)
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「センゴク」の記事における「田原紹忍(たわら じょうにん)」の解説
通称は民部大輔。大友家の武将。耳川の戦いの総大将だが、実際の軍議は鎮周が牛耳っていた。
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