田の口・唐琴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 19:19 UTC 版)
琴浦町発足以前は田ノ口村(たのくちそん)だった地区。現在はおおむね倉敷市立琴浦東小学校区となる。 田の口(たのくち)は、仙随山の南麓の瀬戸内海沿岸のあたる。前述の上村・下村同様『吉備温故秘録』に記録がある。 元々は農業主体の大きな集落であったが、同村北部にある由加山が諸国から多くの参詣者が集まり、讃岐国の金刀比羅宮との「両参り」が盛んになると、由加山の南参道口に当たる当村は門前町および発着港として繁栄した。また土産物として真田紐や小倉帯の製造が始まり、地区の産業となった。 明治期になると隣接の下の町とともに織物の産地として発展したが、後に学生服や作業服、またはデニムなどの工場に変わっていった。 なお、田の口の地名は「由加の口」の変形である。 唐琴(からこと)は昭和31年に引網(ひきあみ)から改称した地区で、田の口の東方、王子が岳の西方に位置する瀬戸内海に面した集落である。 古来は港町であったが明治になり田ノ口との合併後、田の口同様に被服関連の工場が立地した。
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