生い立ちとイールズ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/14 01:24 UTC 版)
「トミー・ウォルター」の記事における「生い立ちとイールズ時代」の解説
カリフォルニア州ウェストレイクビレッジで、飛行機パイロットの父とスチュワーデスの母の間に生れた。父はカナダ出身で、トミーが生れた時には既に46歳であった。質素な中流家庭で育ったトミーは若くしてベースの演奏を始め、大学在学中はフレンチ・ホルンを教わった。南カリフォルニア大学を卒業し、パシフィック大学の大学院に進んだ。西洋音楽理論で教鞭を執る傍ら、地元ロサンゼルスの音楽家たちと仕事をした。 シンガーソングライターのマーク・オリヴァー・エヴェレット(通称 "E" )、ジョナサン・ノートンと出会いイールズを結成。エヴェレットはイールズ結成前に、既に2枚のレコードを「E」名義で発表していた。バンド名はEのソロ作品の隣に並べられるような名前にしたつもりだったが、イーグルスなどのようなバンドがあったため、結果的にこの目論見は失敗した。 イールズでは新曲の制作のほか、Eがそれまでに作曲した楽曲への改良も行った。1996年にデビュー・アルバム『ビューティフル・フリーク』を発表。しかし、1年に亘るツアーを行った後にウォルターがバンドを脱退。脱退の理由はEの人間性が気に入らなかったことと、『ビューティフル・フリーク』の成功以前の制作におけるジョナサンと彼自身の貢献が無駄になったからだとインタビューで語っている。 イールズを脱退したすぐ後に、メトロマックスという名の新たなバンドを結成。程なくしてバンド名をテリーに改め、インターネットを通じてアルバムを発表したものの、大きな成功を得るには至らなかった。ウォルターはこのバンドを発展させる形で、ソロ・プロジェクト「アバンダンド・プールズ」を立ち上げた。
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