現存しない部屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 02:51 UTC 版)
雷部屋梅ヶ谷藤太郎双葉山定次が横綱昇進の暁に襲名を打診されたが断っている 井筒部屋西ノ海嘉治郎 源氏山(大関)寺尾常史が襲名したが1場所で返上 錦洋(大関) 逆鉾(関脇) 鶴ヶ嶺(関脇) 星甲(関脇) 粂川部屋鏡岩(大関) 千賀ノ浦部屋綾川五郎次(関脇)現在の同名の部屋とは別系のためこちらに記す。 伊勢ヶ浜部屋清國(大関)現在の同名の部屋とは別系のためこちらに記す。安馬大関昇進の際に襲名の話が出たが実現せず、日馬富士公平と名乗った 追手風部屋清水川(大関)現存の同名の部屋とつながりはあるが直接の子孫ではないためこちらに記す。遠藤聖大が三役昇進した際には襲名が決まっているとする報道もあったが、師匠本人はこれを明言しておらず、実際には昇進後も襲名していない。 二所ノ関部屋海山太郎(関脇) 麒麟児(関脇)現在の同名の部屋とは別系のためこちらに記す。 二子山部屋(8代)土州山 二子山部屋(10・11代)若乃花 若三杉(関脇)現在の同名の部屋とは別系のためこちらに記す。 三保ヶ関部屋増位山(大関)元は姫路藩抱え力士の四股名で、いずれも旧境川部屋所属。9代三保ヶ関と10代三保ヶ関は「ますいやま」だが江戸時代には同じ字で「ますいざん」と読んでいた 大島部屋旭國(大関)旭富士正也に襲名させる予定だったが本人が断わった
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