現代の泊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 21:20 UTC 版)
1953年(昭和28年)には西南方村が名称を変更し坊津村(ぼうのつむら)となり、坊津村の大字となった。この村名変更に際して「坊津村」への名称変更を推進する坊と泊の住民に対して、秋目と久志の住民は「坊津以外であれば何でもよい」として反対した。この結果村議会で紛争し、最終的には村議会は坊泊と秋目久志に分村を議決する事態に発展した。分村が議決されたことに伴い西南方村は鹿児島県に対して分村申請書を提出したが、申請を受けた鹿児島県は坊泊は経済的に自立可能であるが、秋目と久志は経済的に自立不可能であるとして申請を認めなかった。その後1953年(昭和28年)に地域住民間の感情的な対立が解けたとして、村議会において村名の変更の件が議決されたという経緯がある。 名称変更の2年後の1955年(昭和30年)に町制施行し坊津町となり、坊津町の大字となった。 2005年(平成17年)11月7日に坊津町が加世田市、金峰町、笠沙町、大浦町と合併し新たに南さつま市が設置された。市町村合併の際に法定合併協議会である川辺地区合併協議会における協議によって、坊津町の区域の大字は現行の町名を現行の大字名に冠したものに改称する旨が協定され、合併前の同年10月21日に鹿児島県の告示である「 字の名称の変更」が鹿児島県公報に掲載された。この告示の規定に基づき合併と同日に名称の変更が行われ、大字名が「泊」から「坊津町泊」に変更された。
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