王立軍事件
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2012年2月6日、重慶市副市長である王立軍がアメリカへ亡命するために成都市のアメリカ総領事館(英語版、中国語版)に駆け込む事件が発生した。王立軍は直前まで重慶市副市長兼重慶市公安局長として薄熙来が唱えたマフィア撲滅運動を主導しており、薄熙来の側近であった。 この情報はすぐに薄熙来及び北京にも伝達された。これにより、中華人民共和国政府はアメリカ大使に対して王立軍の無条件の引き渡しを求めるなど、王立軍奪還に全力を注いだ。北京の情報機関が対テロ部隊を、重慶が武装警察をそれぞれ動員しており、成都市のアメリカ総領事館は異常な緊張感に覆われていた。 最終的にアメリカ側が折れ、黄奇帆重慶市長が総領事館に入ることに応じた。2012年2月7日に王は中華人民共和国政府が安全を確保することに同意した3つの同一書面をアメリカ総領事、重慶市長、王立軍自身の3者を持つことを条件に、王立軍は重慶市長と一緒に総領事館に出ることに応じた。 王立軍事件の少し前の2012年1月28日に王立軍が薄家を訪れた際に、イギリス人実業家死亡事件についてプレッシャーを感じた警察官が辞表を出してきたと報告した。薄熙来はこの報告について王立軍による脅しと解釈して重慶市公安局長を解任したが、王立軍の立場を考慮して重慶市副市長のポストに一部の形式的な役職を加え、名誉職に祭り上げた。しかし、王立軍はこの人事に不信感を持ったことが亡命未遂事件のきっかけとなった。 なお、王立軍がアメリカ総領事館に駆け込む際に3枚のDVDを持ち込んでおり、その中には谷開来がイギリス人実業家の殺害にかかわっていたことを示すデータが収められていると報じられていた。その後、亡命を断念した王立軍は北京にある特殊尋問基地に移された後は、イギリス人実業家殺害事件について知っていることを洗いざらい証言した。
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