王太子妃時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 03:18 UTC 版)
「メアリー・オブ・テック」の記事における「王太子妃時代」の解説
女王崩御に先立つ1901年1月1日、英国の植民地だったオーストラリアは6つの植民地が統合された連邦として自治権を与えられており、その第1回目の議会開会式にジョージは女王の名代として臨席する予定だった。オーストラリアの保守政権の強い要望によって訪豪は予定通り行われることとなり、ジョージとメイは女王の葬儀にも参列しないまま、同年3月、オーストラリア及びニュージーランドやカナダも含む海外自治領(ドミニオン)への旅に出発した。夫妻は11月1日に帰国し、11月9日の国王誕生日に、ジョージは正式に王太子に叙された。 王太子夫妻は、1905年10月から翌1906年3月まで、インドを訪問した。 1910年にエドワード7世が崩御すると、夫妻はジョージ5世国王と「メアリー王妃」となった。メイは、ファーストネームのヴィクトリアを用いなかった。
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