王太后時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/03/15 15:07 UTC 版)
「エリザベス・バウエス=ライオン」の記事における「王太后時代」の解説
1952年2月6日に、ジョージ6世は肺癌で亡くなった。これにより、エリザベスは王太后(HM Queen Elizabeth The Queen Mother)となった。この称号が選ばれたのは、即位した娘エリザベス2世女王(HM Queen Elizabeth II)とあまりに近かったので、区別する必要があったからである。英国王室の依頼で書かれたキティ・ケリーの『ザ・ロイヤルズ』には、娘が自分より偉くなるのが許せなかったため、Queenを二つ重ねたと書かれている。大衆の間では、王太后(The Queen Mother もしくは The Queen Mum)と呼ばれるようになった。 公務で忙しいながらも、王太后はスコットランドのキャッスル・オブ・メイの修築を監修し、後にお気に入りの別邸とした。また、この頃から競馬にも興味を持ち、アスコットなど競馬場にしばしば姿を見せたが、公務をおろそかにすることはなかった。外遊も頻繁に行い、英国と諸外国との親善に大いに貢献した。 2002年3月30日、エリザベス王太后は、ウィンザー城で101歳238日で亡くなった。前年末から呼吸器系を患っていたが、母の面倒をよく看ていた次女のマーガレット王女が同年2月に亡くなったことを深く悲しんでおり、これにより著しく健康を損なったという。また、彼女は王家史上に残る長命であり、その誕生日は慶祝の節になったほどで、彼女の存在そのものが、英国王室の人気の源だったとも言われている[誰によって?]。死してなお、その人気は高い。 なお、英国王室最長寿はグロスター公爵夫人アリスの102歳309日(1901年12月25日-2004年10月29日)である。
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