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王乃彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/16 15:07 UTC 版)

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王 乃彦
生誕 (1935-11-21) 1935年11月21日(83歳)
中華民国 福建省福州
国籍 中華人民共和国
研究分野 原子核物理学
研究機関 中国原子能科学研究院
出身校 北京大学
主な受賞歴
  • 国家科学大会賞四項
  • 国家科技進歩三等賞一項
  • 部級科技進歩賞一等賞一項、二等賞二項
  • 国防科工委科技進歩一等賞一項、二等賞二項
  • 国家高科技研究発展 “八五” 先進工作者
  • 何梁何利科学技術進歩賞中国語版(2003年)
  • 世界核科学理事会全球賞(2004年)
プロジェクト:人物伝

王 乃彦(おう ないげん、ワン・ナイヤン、1935年11月21日 - )は、福建省福州出身の、中国原子核物理学者、学家,中国科学院院士、中国核工業集団科学技術委員会高級顧問、中国原子能科学研究院副院長、研究員、『中国物理学報(中国物理学报)』主編、また、国家自然科学基金委員会中国語版副主任、核工業研究生部主任、太平洋地区核理事会理事長、中国核学会中国語版理事長[1]

経歴

1935年11月21日、王乃彦は中華民国時代の福建省福州に生まれた。1942年から1949年にかけて福州第三中学福州第一中学に学び、1952年北京大学で物理学系に入学し、1955年から原子核結合エネルギー英語版領域を学び始め、1956年には北京大学技術物理系を卒業して、中国における原子核物理学分野の首席卒業生となった。

卒業後、王乃彦は中国原子能科学研究院銭三強中国語版のグループに入り、中性子分光法研究に携わった。1959年ソビエト連邦に赴き、ドゥブナ合同原子核研究所で研究に従事し、1965年には中ソ対立を契機に帰国しt。1966年から1980年にかけて、王乃彦は中華人民共和国核工業部中国語版第九研究院で研究に従事した。1986年から1987年にかけて、日本名古屋大学プラズマ研究所に滞在して研究に取り組んだ。1993年には中国科学院院士に選出され[2]1997年から2004年にかけては国家自然科学基金委員会数理学部主任を担当した。

2004年には、世界核科学理事会全球賞(全球奖)を受賞した。

脚注

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