玄冶店 濱田家とは? わかりやすく解説

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玄冶店 濱田家

(玄治店濱田家 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/02 13:35 UTC 版)

株式会社濱田家
種類 株式会社
本社所在地 日本
103-0013
東京都中央区日本橋人形町3丁目13番5号
業種 小売業
法人番号 1010001054274
外部リンク https://www.hamadaya.info/
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玄冶店 濱田家(げんやだな はまだや)は、株式会社濱田家が運営し、東京都中央区日本橋人形町に本店を構える老舗料亭。店主は三田芳裕で、先代は明治座の元会長三田政吉である。

概要

「濱田家」の名は、花街として知られた現在の人形町周辺にあたる芳町芸者置屋「濱田家」に始まる[1]。「濱田家」の貞奴は総理大臣・伊藤博文など元勲からも贔屓にされた芸妓で[1]、のちに日本初の女優川上貞奴として知られた[1]。置屋としての「濱田家」は明治の末に店を閉め[1]、三田五三郎が1912年大正元年)に開業する際、貞奴から「濱田家」の名を譲り受けて料亭「濱田家」が誕生した[1]

初代三田五三郎は福井出身で、横浜「富貴楼」と飯田橋「富士見楼」で修行し、矢の倉「福井楼」で渋谷利紀太郎の後任として料理長に就く。

1932年昭和7年)から関西の料理人を雇い入れており、現在の料理長である南雲和市も関西出身で、日本料理研究会の師範を務めて関西調理師が構成する古萌会に所属している。

玄冶店」は徳川家御典医岡本玄冶に由来する地名[1]である。玄冶は3代将軍・家光痘瘡を病んだ際に全快させて名を高め[1]、幕府から拝領した土地に借家を建てて庶民に貸したことから一帯が「玄冶店」と呼ばれた[1]。与三郎とお富で有名な『与話情浮名横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)の舞台として知られる。

沿革

交通

本店
東京ミッドタウン店(閉店)
すし処 はま田(閉店)

すし処 はま田

濱田家の系列店で、東京都中央区日本橋蛎殻町ロイヤルパークホテル内で営業していた寿司店で、2010年9月頃に閉店した。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 玄冶店「濱田家」、百年の歴史とともに、2013年7月28日閲覧。

関連項目

外部リンク

座標: 北緯35度41分13.5秒 東経139度46分58.6秒 / 北緯35.687083度 東経139.782944度 / 35.687083; 139.782944




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