猟兵師団期
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1942年2月、第28軽歩兵師団は再び東部戦線に移されクリミアで南方軍集団の指揮下に置かれた。3月30日には6個歩兵大隊が装備良好の状態で、師団砲兵隊を擁する戦闘可能な歩兵師団として機能していた。5月には対パルチザン戦に参加し、その後セヴァストポリ包囲戦にも参加した。 1942年7月1日に「第28猟兵師団(28. Jäger-Division)」に改編されクリミアでの任務を完了した後、9月にヴォルホフの北方軍集団に移送され、第1次ラドーガ湖戦(ドイツ語版)に参加し1943年においても第2次、第3次ラドガ湖戦を戦った。 1944年1月、赤軍によるノヴゴロド・ルガ作戦の防衛戦後、第1空軍野戦師団(ドイツ語版)の残余部隊を編入し、6月には、コウェル地区の北ウクライナ軍集団と共に第4装甲軍の指揮下に一時的に置かれた後、第2軍に移管された。バグラチオン作戦発動の後、ポーランドに撤退し東プロイセンの第4軍に移管された。ここでは、1945年3月から4月にかけてのハイリゲンバイルの戦いで壊滅した。1945年5月、師団は東プロイセンにおいて赤軍に降伏。投降時の兵力は1000人にも満たなかった。
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