対パルチザン戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 03:16 UTC 版)
「第14SS武装擲弾兵師団」の記事における「対パルチザン戦」の解説
1945年1月末、師団はスロベニアへ移動、2月末から3月末まで他のSS、SD部隊と共にオーストリア・スロベニア国境近くのシュタイアーマルク、コロシュカでユーゴスラビアパルチザンの掃討作戦に従事した。共産系ゲリラと戦う一方で、師団は反共系パルチザン、チェトニックとは協力関係を維持した。この作戦間に、師団は第31SD防衛大隊(別名、ウクライナ防衛軍団)を吸収した。3月31日に赤軍が戦線を突破し、ハンガリーからオーストリアへ進撃を開始すると、師団は反撃のために北のグライヒェンベルクへ移動するよう命令された。
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