狂い出した歯車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 04:48 UTC 版)
「桂三木助 (4代目)」の記事における「狂い出した歯車」の解説
最初に芸術祭に参加を申し込んだのは1996年だが、公演の前々日に事故にあって怪我をしたために公演を中止した。その際にマスコミが取り上げ、注目の的になった。三木助本人は「夜中に飼い猫の餌を買いに行った帰りにピカっと光る物体を見たとたん、何かとぶつかって気を失った」 と証言したが、周囲からは「彼に冷たくされた女性が待ち伏せして襲った」説や「参加公演直前になって自信をなくして体調がおかしくなった」説、宇宙人来襲説、狂言説などが浮上したが、姉の小林茂子の話では自動車による当て逃げの被害にあったというのが真相であった。高座に復帰した際には自ら自虐的にこの事故についてまくらで触れていた。またこれ以後自嘲的にお騒がせ噺家と名乗るなどスキャンダラスな存在になっていった。 それ以降、三木助は奇行が目立つようになり、寄席も遅刻し、無断で欠席するようになった。たとえ寄席に出ても楽屋でも身だしなみにこだわらなくなり、寄席を出てから10時間近くも夜の街を徘徊した末に駅でコートを脱ぎ捨て、足を腫らして病院に運び込まれることもあった。また、周囲の人々に、父親の年まで生きられず に30代で亡くなるかもしれない ことや、亡くなったら、かつて一緒に遊び回っていた病死したり自殺したり変死した仲間と再会出来る ということを口にするようになった。 かねてから「三木助」の名に重圧を感じており、うつ病にかかっていたなどの憶測が流れたが、このような言動の背景には、胃の手術によって体に変調が表れやすくなったこと や、長年の付き合いのあった友人に裏切られて金銭問題を抱えたことがある。
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