特高課長の回想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 10:23 UTC 版)
当時東京憲兵隊の特高課長だった大谷敬二郎は、戦後の回想の中で、コックスの死について下記のように記している。 コックスはその日の午前中に特高課外事班(班長・野村大尉)の取調べを受けた後、12時半頃、休憩中に、監視兵の不意をついて突然憲兵司令部3階の窓から後庭に飛び降りた。 コックスは憲兵司令部3階の医務室に運ばれたが、頭蓋骨を損傷しており、意識不明でうめき声を上げていた。駆け付けたコックス夫人が取り乱して「夫が憲兵隊に殺された」と大声で叫んでいた。 コックスは同日15時過ぎに死亡した。 コックスのズボンの中には遺書らしきメモがあり、夫人が差入れた弁当の包紙として使われていた同盟通信の速報のタイプ刷りの古いザラ紙裏に「私はもうだめだ、憲兵隊ではまことによいもてなしをうけて感謝している。」と書かれていた。 同日18時頃、英国領事と医師が死体検分を行い、英国領事はコックスが飛び降りた現場も視察し、憲兵隊が用意した「屍体受領書」にサインして帰った。取調べの進行には特に注意したつもりで、虐待や拷問の痕跡は確認されなかったはず。 同日20時頃、聖路加病院から人が来て遺体を引き取った。 事件後、憲兵隊では外事主任将校以下、監視兵に至るまでが懲戒処分を受けた。
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