特種技能集団・弓射騎兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 02:10 UTC 版)
戦闘に堪え得る乗馬と鎧、そして馬を乗りこなしての騎射(弓)の訓練ができる者とは、平安時代後期ではごく一握りの特種技能集団でしかあり得なかったはずである。佐藤進一は『南北朝の動乱』においてこう書いた。 武士にはこういう特技(騎馬と射技)が必要条件となると、馬の供給量が少ない日本では、 高価な馬をもって、日夜特技をみがくだけの経済的余裕が無ければならない。こうして武士は「武者の家(「兵の家」のこと)」と呼ばれる特定の家の出身者に限られる社会制度が発達した。 また、「棟梁」級の武士を追えば確かに天慶の勲功者につながる「武者」「兵の家」の者だが、「武士団」を追えば必ずしもそればかりではない。例えば、南北朝時代に武蔵七党と呼ばれた小武士団は、明らかに「兵の家」の出身と言えるものばかりではない。 平安・鎌倉時代の武士は「武芸を特業とする職能集団」であり、その「武芸の中心は騎馬と射技(弓)」であった。僦馬の党は騎馬をベースとした機動力を最大限に発揮した武装集団であり、それを鎮圧しようとする「兵(つわもの)」もまた騎馬武者でなければならなかっただろう。馬は兵が兵たるための第一の条件であり、そのため「名馬」は武士の一番の財産であった。
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