特撮映画の勃興期
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公職追放されていた円谷は、1952年に東宝へ正式に復帰し、『太平洋の鷲』『さらばラバウル』などの戦記映画を手掛けた。 1954年、インドネシアとの共同合作映画『栄光の陰に』が製作中止になり、東宝のプロデューサーであった田中友幸は急遽空路で帰国した。その機中で田中は「海から現れる巨大な怪獣」というアイデアを思いつき、円谷が考えていたアイデアも含められ、1954年に『ゴジラ』によって現実映像の代替手段ではない、空想映像としての特撮映画が誕生する。 「ゴジラ (1954年の映画)」も参照 同年、特撮技術を応用した『透明人間』を製作。1956年、初のカラー作品である『白夫人の妖恋』が上映。また変身人間シリーズ、『地球防衛軍』に始まる怪獣作品以外のSF、『日本誕生』などの歴史スペクタクル特撮作品等に特撮は活躍した。 1962年の『キングコング対ゴジラ』は1255万人を動員する大ヒットを記録し、黄金期をきづいた。
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