特定のレスラーへの傾倒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 20:42 UTC 版)
「週刊ゴング」の記事における「特定のレスラーへの傾倒」の解説
ゴング創刊当時は「ゴングのマスカラスか、マスカラスのゴングか」と謳ったほどミル・マスカラスをプッシュしていた。主力ライターの菊池孝がジャイアント馬場のブレーンだったことから、ターザン山本ら週刊プロレス系のライターが全日本プロレスのブレーンとなる1990年代まで、誌面構成は全日本プロレスへ傾倒していた。週刊プロレスがSWSの取材拒否を受けていた頃、そして天龍源一郎と関係の深い小佐野景浩が94年に編集長になってからは、SWS及び派生団体のWARに偏った誌面構成となる。1999年に「GK」こと金沢克彦が編集長に就任してからは、長州力を贔屓とした記事が顕著に現れる。基本的に新日本プロレス、他社の取材をあまり受けない長州関連の記事が大きくメインで扱われ、他の団体で大興行が行われた際も、新日本関連の記事が表紙で扱われるなどした。その新日本プロレス中心の誌面構成には「新日広報誌」とファンだけでなく、小川直也などレスラーからも揶揄された。 ライバル誌である『週刊プロレス』が、編集長ターザン山本の下で売り上げ高の全盛期を迎えた時期には、大きく水を空けられていた。しかし、小佐野編集長時代の1996年に週刊プロレスが新日本、WAR、UWFインターナショナルなどからの取材拒否を受けている間は、その効果により実売数で初めて追い抜き、金沢編集長時代には1万部以上の差をつけていた。なお、2004年の金沢の編集長退任とともに元の数字へ戻っている。[要出典]
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