物体そのものとは? わかりやすく解説

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物自体

(物体そのもの から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/22 05:29 UTC 版)

物自体(ものじたい、: Ding an sich: thing in itself: chose en soi ) は、ドイツの哲学者、カント哲学の中心概念[1]。なお、多くの場合、ギリシア語の「ヌース」( : nous精神)に由来する「ヌーメノン」 ( : noumenon、考えられたもの ) という語も、これと同義語として用いられる[2]

概要

大陸の合理論イギリス経験論哲学を綜合したといわれるカントが[3]、その著書『純粋理性批判』の中で、経験そのものを吟味した際に経験の背後にあり経験を成立させるために必要な条件として要請したものが、「物自体」である[2]

「感覚によって経験されたもの以外は、何も知ることはできない」というヒュームの主張を受けて[4]、カントは「経験を生み出す何か」「物自体」は前提されなければならないが、そうした「物自体」は経験することができないと考えた[5]。 物自体は認識できず、存在するにあたって我々の主観に依存しない。因果律に従うこともない[2]

歴史的経緯

「物自体」という概念は、古代ギリシャエレア派プラトンアリストテレス等によって形成された「イデア形相」ないしは「ウーシア」概念、また、それを継承した中世スコラ学における「神」に似た概念、すなわち、「理性でのみ接触し得る本質」という西洋思想の伝統的発想の延長線上にあり、それをカントの批判哲学超越論哲学(先験哲学)の枠内で表現した概念である[2]

大陸合理論では、すべての確実な知識は生まれつき持ち、しかも、疑いようもなく明らかな真理な原理に由来すると説く立場である。 他方、イギリス経験論では、いっさいの知識は経験に由来すると主張する[6]

こうした大陸合理論とイギリス経験論を弁証法的に解決し、また同時に伝統的な超越的概念も擁護し、「形而上学」を適正に復興すべく、「理性自体の吟味」を通じて、「人間は超越的概念(物自体)に対して、どこまで理性的に思惟・接近し得るのか」を示そうとしたのが、カントの批判哲学・超越論哲学(先験哲学)である[2]

影響

ヘーゲルは「物自体」というカントの概念は、認識不可能な認識の対象と定義されるべきものであり、「物自体」は無意味な言葉のトリックに過ぎないと批判している[7]フィヒテは、カントの批判哲学を徹底することで「物自体」という概念を斥け、自我の活動を重視した[8]

ただ、ショーペンハウアーは「物自体」を「意志」と同一視し、その道徳観の基礎としている[9]

脚注

  1. ^ 哲学事典・物自体 1971, p. 1398.
  2. ^ a b c d e 福谷 1998, p. 1598.
  3. ^ 清水 2007, p. 84.
  4. ^ 山口 2019, p. 261.
  5. ^ 清水 2007, p. 88.
  6. ^ 坂井 & n. d.
  7. ^ 加藤 1998.
  8. ^ 大森 1998, p. 1355.
  9. ^ 多田 2007, pp. 20–21.

参考文献

関連項目




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