片平村と五力田村とは? わかりやすく解説

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片平村と五力田村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 05:26 UTC 版)

白鳥 (川崎市)」の記事における「片平村と五力田村」の解説

現在の白鳥1976年住居表示実施されるまで、旧片平と旧五力田境界線複雑に入り組んだ地域であった。その起源江戸時代初期までさかのぼる。 1559年永禄2年)-『小田原衆所領役帳』に「小机片平25900大熊修理亮」とある。 片平、五(伍)力田は北隣の古沢含めて片平郷に属していた。 1590年天正18年)-徳川家康江戸入部徳川氏領となる。この頃古沢村片平郷から分村した。 1594年文禄3年)-この年の『武州都筑郡片平御縄打水帳』に五力田田畑がすべて記載されている。また、片平郷の小名として五力田地名みられる五力田片平郷の枝村としての存在だった。 1590年代 -旗本前場久三郎知行所として片平268石を賜り、その余り40石は御料所天領)とされている。この天領とされた40石が伍力田にあたるか。 1599年慶長4年)-この年検地帳が残る。表記は『片平村御縄打水帳』となっており、片平郷から片平村変わっており、伍力田田畑記載されていない。 これらの資料により、1594年から1599年までの5年間のうちに片平郷から伍力田分村したと推定できる1702年元禄15年)-『元禄郷帳』に「高 39石8斗余」と載る。伍力田現在の川崎市域でもっとも石高の低いであった1650年代明暦年間)-伍力田片平村両者入会地にしている田畑があった。 地図上で片平村が伍力田抱え込むようなかたちであり、入会地があるなど両者の関係深かった考えられる現在の白鳥一丁目二丁目大部分が旧片平三丁目は旧片平と旧五力田境界交錯し地域であり、四丁目は旧五力田にあたる。

※この「片平村と五力田村」の解説は、「白鳥 (川崎市)」の解説の一部です。
「片平村と五力田村」を含む「白鳥 (川崎市)」の記事については、「白鳥 (川崎市)」の概要を参照ください。

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