爆弾による暗殺未遂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 17:40 UTC 版)
6台の車列はミリャツカ川沿いの通り(アペル・キー)に入り、1人目の暗殺者ムハメド・メフメドバシッチ(英語版)の前を通過した。暗殺者グループを率いるダニロ・イリッチ(英語版)は、メフメドバシッチを爆弾で武装させ、モスタール・カフェ(Mostar Cafe)に隣接する庭の前に立たせていたが、メフメドバシッチが行動を起こせないまま車列は通り過ぎた。イリッチはヴァソ・チュブリロヴィッチ(英語版)にピストルと爆弾を持たせ、メフメドバシッチの隣に配置していたが、チュブリロヴィッチもまた何もできなかった。通りのさらに先には、爆弾を持った3人目の暗殺者ネデリュコ・チャブリノヴィッチ(英語版)が、失敗した2人とは反対側(ミリャツカ川側)に配置されていた。 午前10時10分、大公夫妻を乗せた車が接近し、チャブリノヴィッチは爆弾を投げつけた。爆弾はオープンカーの折りたたまれていた幌に当たって跳ね返り、路上に落ちた。爆弾は時限起爆装置によって後続車の下で爆発し、車は破壊されて走行不能となり、16 – 20名が負傷した。この爆発は直径30 cm、深さ170 mmのクレーターを残した。チャブリノヴィッチは自決用の毒薬(シアン化物)を飲み込み、ミリャツカ川に身を投げたが、古く劣化していた毒薬は嘔吐を引き起こしただけで、暑く乾燥した夏のために川の水深はわずか13 cmしかなく、自殺は未遂に終わった。チャブリノヴィッチは警察によって川から引きずり出され、拘留される前に群衆から激しい暴行を受けた。 破壊された車両を置き去りにして、残った5台の車両はスピードを上げ、市庁舎に向かって走り去った。ツヴィエトコ・ポポヴィッチ(英語版)、ガヴリロ・プリンツィプ、トリフコ・グラベジュの3人は、スピードを上げた車列が目の前を高速で通過したため、行動を起こせなかった。
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