煖炉焚け焚け赤ん坊生る
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
冬 |
出 典 |
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前 書 |
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評 言 |
巽巨詠子と書いて「たつみ・きよえいし」と読みます。巽巨詠子は、平成八年に七十九歳で亡くなっています。昭和十三年に軍隊に召集されましたが、それまでつくっていた俳句だけは続けて、吉田冬葉に師事しました。 昭和十六年除隊すると、教職を捨てて上京し、吉田冬葉のもとに寄食しました。「あざみ」の創刊に参加しています。 この句は戦後の作品です。実に昂揚感があります。父親となる喜びにあふれていますが、心配も覗かせています。戦後間もない頃の東北の冬は想像を越える寒さです。室を暖めないと妻も胎児もこごえてしまいます。ですから煖炉焚け焚けなのです。ただ何度か口ずさんでみると何となく舌足らずのような気がします。「あかんぼう」と伸ばすと七音に納まりますが、「あかんぼ」と縮める方が緊迫感があります。舌足らずに思えるところが、出産の現場では役に立たない、男性の姿でもあります。また父親になることにとまどいながら生命の誕生を謳歌している一句です。 巽巨詠子は、昭和二十二年、俳誌『高秋』を創刊し、二十五年には後継誌の『幻魚』を始めました。秋田県の俳人の多くは、巽巨詠子の影響を受けています。 この句を私は高校生の頃、だれからともなく教えられました。それほど県民には膾炙されている一句です。 「小熊座」の主宰佐藤鬼房さんは、巽巨詠子を次のように詠んでいます。 ゴム長のかの風狂よ羽後とんぼ |
評 者 |
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備 考 |
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