点料
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 07:05 UTC 版)
点料は連歌にもあったが、貞徳は京花咲社中にいたころ俳諧百韻の点料として諸国の門人から諸国の名産をもらったといい、のち門人馬淵宗畔が添削の軸料を銀1両にするようにはからった。 のち、立圃は独立してこれにならって1両とした。 貞門時代は師弟の間に相当の礼儀があり、宗匠を会席に招くのに、会が終われば直ちに謝礼を出すのではなくして翌日、宗匠の宅に挨拶に行くのに一包を折板に載せて贈るというふうであった。 芭蕉は業俳でなかったから点料はとらなかったが、其角、嵐雪はいずれもこれを取った。 其角の門の淡々は自分からはきめなかったが、いつしか百韻銀1両、五十韻銀2匁、歌仙1銭目半となった。 それをのちの俳者はこの点料にならって当座に贈らない人には書き付けを送って催促するようになった。 其角堂、雪中庵、其日庵を承継する宗匠は点料で衣食した。 明治以後もたとえば雪中清規などを見ると、発句添削五銭、連句手合わせ十五円などと見える。 この項目は、日本の文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 日本・ウィキプロジェクト 日本文化)。
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