炎天より僧ひとり乗り岐阜羽島
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季 語 | |
季 節 | 夏 |
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評 言 | 学生時代、岐阜出身の友人から、政治家の横槍で新幹線のレールを曲げて作ったと、揶揄、非難された岐阜羽島駅のことは、よく聞かされていた。その後、この句を知ることになるのだが、確かに地名を詠み込んだ聞こえる名句であると、実感した。個人的にはこういう地名俳句は好きである。 がらんとしたコンクリートの駅。夏の劇しい陽光がプラットホームに白く照りつけている。その時、墨染の大柄な僧がひとり、ふわっと幻影のように乗ってきた――。一切の情景は消され、黒揚羽のようにふわりと僧が現われたのだ。 「炎天」、「僧」、そして「岐阜羽島」と、極めて具体的な言葉を並べていながら、全体としては幻想的だ。だからこそ、属性を含めた岐阜羽島という駅の存在をリアルに想起できるのである。また、「ギフ」という短く屈折した音感と、「ハシマ」という平面的な音感とが合体して、ぴったりと座五の位置に収まるように配置されている。さらに、「炎天より」という字余りを、「炎天を」あるいは「炎天や」と五音にすれば、乗降客の少ない閑散とした岐阜羽島駅の情景が描き出されないし、中七を「僧ひとり乗り」としたことによって、「岐阜羽島」が存在感、立体的陰影を帯びることになる。これがもし、「僧ひとり乗る」ならば、この句はフラットなレポート的なものになったであろう。 私は、作者の熱心な読み手ではないが、この句には、地名俳句の陥りがちな単なる説明的なものとは境界を引いた、日常と非日常、外界と内面とを結びつけるような時空間が創出されていて、新幹線が岐阜羽島を通過するたびに想い出すのである。 <写真は野草録より> |
評 者 | |
備 考 |
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