火山活動の収束後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 06:22 UTC 版)
子持山の火山活動は20万年前頃に収束した。これは、数万年前から1万年前頃までに激しい噴火を繰り返した榛名山・赤城山・浅間山などの周囲の大火山とくらべ、かなり古い部類にはいる。子持山の南北の山麓にできた山体崩壊にともなう扇状地の上には、榛名山や浅間山の噴火にともなうテフラ(火山噴出物)が10メートルもの厚さで堆積している。また、東方にある赤城山の噴火では、噴出物によって利根川が堰き止められ、川筋が大きく西へ移動した。これにより、子持山の東麓は利根川によって大きく浸食され綾戸渓谷となった。 山体やカルデラそのものも、20万年の間に風雨や河川による浸食・開析により大きく姿を変えた。火山活動にともなって噴出された火山灰を主成分とする凝灰岩や凝灰角礫岩は、比較的やわらかいために削られ流されてしまい、火山の内部構造ともいうべき火道の岩脈が「骨組み」のように露出する形となった。こうした開析が最も進んでいるのが、南斜面を大きく削って谷をつくっている唐沢周辺で、この扇状地の根元部分に子持神社が鎮座する。
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