瀬名義利とは? わかりやすく解説

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瀬名義利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/20 05:15 UTC 版)

瀬名 義利(せな よしとし、1852年(嘉永5年11月27日) - 1922年(大正11年)4月12日)は、幕末武士明治時代陸軍軍人。最終階級は陸軍少将位階従四位勲等勲三等、軍功は功四級靖國神社遊就館館長。

生涯

250俵の旗本瀬名貞明 (通称孫之丞、号は宗入)の次男として生まれる。瀬名氏今川氏の分流で、今川家の没落以来徳川家に臣従した。維新後は他の幕臣と共に静岡県庵原郡西奈村に移住した。1869年9月、幕府陸軍大砲差図役として同役であった岡部長民(長崎奉行岡部長常の子)・林正功とともに沼津兵学校の第四期資業生(全五十九名)として入学[1]

卒業後は陸軍に入り、1874年陸軍少尉に任じられ、西南戦争に従軍。その功により勲六等を叙せられ、年金70円を賜る。日清戦争では砲兵陸軍中佐となり、野戦砲兵第十一聯隊長として出征した。その功により勲三等を叙せられた。1898年10月1日、門司陸軍兵器本廠長となる。1905年には陸軍少将となる。日露戦争では碇泊場司令官および後備第二師団兵站監として出征。その功により功四級金鵄勲章を授けられる。1907年予備役となり、靖國神社宝物館・遊就館の館長に就任した[2]。大正11年4月12日卒去[3]戒名は寛洪院殿義山日達居士。墓所は喜久井町日蓮宗本松寺にある。

家族

東京府東京市牛込区南町31

脚注

  1. ^ 沼津兵学校の成立
  2. ^ 人事興信録 第三版
  3. ^ shirakaba 瀬名義利



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