澤村宗十郎 (8代目)とは? わかりやすく解説

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澤村宗十郎 (8代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/24 07:50 UTC 版)

はちだいめ さわむら そうじゅうろう
八代目 澤村 宗十郎
屋号 紀伊國屋
定紋 丸にいの字 
生年月日 1908年1月8日
没年月日 (1975-12-25) 1975年12月25日(67歳没)
本名 澤村 壽雄
襲名歴 1. 五代目澤村源平
2. 四代目澤村訥升
3. 市川松筵
4. 四代目澤村訥升
5. 八代目澤村宗十郎
七代目澤村宗十郎
兄弟 五代目助高屋高助
五代目澤村田之助(初代曙山)
九代目澤村宗十郎
二代目澤村藤十郎

八代目 澤村 宗十郎(さわむら そうじゅうろう、1908年明治41年〉1月8日 - 1975年昭和50年〉12月25日)は、歌舞伎役者。屋号紀伊國屋定紋は丸にいの字、替紋は花有り足有りの笹竜胆。俳号に高賀・東輝がある。本名は澤村 壽雄(さわむら としお)。

来歴・人物

七代目澤村宗十郎の三男。大正2年(1913年)11月、帝国劇場で五代目澤村源平として初舞台を踏む。大正15年(1926年)4月、四代目澤村訥升襲名昭和4年(1929年)、二代目市川左團次の養子となり市川松莚 [注釈 1]となるが、昭和6年(1931年)頃から左團次と不仲となり昭和11年(1936年)に離縁し元の澤村訥升にもどる。

養子入りと並行して若手育成を目的とした新宿第一劇場での青年歌舞伎においつ立女形として活躍し、将来を嘱望される。その後は父宗十郎と行動を共にするが父親の死後は吉右衛門劇団に所属し昭和28年(1953年)に歌舞伎座菅原伝授手習鑑』の桜丸と『宮守酒』の夕しでで八代目澤村宗十郎を襲名する。

大らかな芸風で女形として活躍した。『盛綱陣屋』の早瀬では芸術祭賞を受賞。天分に恵まれていたが覇気に欠ける感があり、また病気に倒れたこともあって、活躍できぬまま不遇のうちに67歳で死去した。

伽羅先代萩』の沖ノ井、『熊谷陣屋』の藤の方、『仮名手本忠臣蔵・九段目』のお石などが当り役である。

兄は五代目助高屋高助五代目澤村田之助。実子には九代目澤村宗十郎二代目澤村藤十郎、弟子に五代目澤村鐵之助がいる。

墓碑は、田島山十一ヶ寺の受用院と多磨霊園(14-1-9)にある。

脚注

注釈

  1. ^ 永井荷風は日記『断腸亭日乗』に、訥升が左團次の養子となるのに際し「市川子團次」を襲名することが関係者の話し合い(荷風も左團次から相談を受け、話し合いに参加している)で決まったが、後になって訥升の実家から「子團次の名は好ましからず、相成るべくは高橋氏(左團次)の俳名にても譲られたき」と申し出があったため、「松莚」を名乗ることになったことを書き記している(1929年(昭和4年)2月27日付、同年5月8日付)[1]

出典

  1. ^ 永井荷風『断腸亭日乗』 3(昭和4-7年)、中島国彦, 多田蔵人校注、岩波書店岩波文庫, 緑(31)-042-16〉、2025年、19, 36頁。ISBN 9784003600504 

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