澤村宗十郎 (9代目)とは? わかりやすく解説

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澤村宗十郎 (9代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/16 14:53 UTC 版)

くだいめ さわむら そうじゅうろう
九代目 澤村 宗十郎
屋号 紀伊國屋
定紋 丸にいの字 
生年月日 1933年3月8日
没年月日 (2001-01-12) 2001年1月12日(67歳没)
本名 澤村寿一
襲名歴 1. 六代目澤村源平
2. 五代目澤村訥升
3. 九代目澤村宗十郎
別名 藤間勘嗣朗(舞踊)
沢村訥升(映画)
出身地 東京
八代目澤村宗十郎
兄弟 二代目澤村藤十郎

九代目 澤村 宗十郎(さわむら そうじゅうろう、1933年昭和8年〉3月8日 - 2001年平成13年〉1月12日 )は、歌舞伎役者。屋号紀伊國屋定紋丸にいの字、替紋は花有り足有りの笹竜胆舞踊名取は藤間 勘嗣朗(ふじま かんしろう)。本名は澤村 壽一(さわむら じゅいち)。東京都出身。

来歴・人物

江戸和事で知られた紀伊國屋の芸を伝えていた。五代目澤村訥升を名乗っていた若い頃はその美貌で人気を博し、谷崎潤一郎が『瘋癲老人日記』に引用したほか、志賀直哉東横ホールの舞台に立つ20代の訥升の美しさを毎月のように堪能したという。

祖父・七代目澤村宗十郎が撰した「高賀十種」の『苅萱桑門筑紫轢』(苅萱道心)をはじめとするお家芸に情熱を傾けたほか、平成元年(1989年)からは私財を投じて自主公演「宗十郎の会」を行い、『月缺皿恋路宵闇』(紅皿欠皿)、『百千鳥沖津白浪』(鬼神のお松)、『染替蝶桔梗』(濡髪お関)など埋もれた狂言を復活させた。

姉に元女優の沢村昌子、弟に二代目澤村藤十郎がいる。また、元宝塚歌劇団星組男役の澤佳津伎は孫にあたる。祇園甲部芸妓実佳子はその妹。

年譜

  • 昭和8年(1933年)3月8日 - 八代目澤村宗十郎の長男として生まれる。
  • 昭和16年(1941年)5月 - 歌舞伎座助六』の禿で六代目澤村源平を襲名して初舞台。
  • 昭和28年(1953年)9月 - 『菅原伝授手習鑑』「加茂堤」の八重、『時今也桔梗旗揚』(馬盥の光秀)の桔梗で五代目澤村訥升を襲名。
  • 昭和35年(1960年) - 東映に移籍、以後の3年間を東映専属の剣戟俳優・沢村 訥升(さわむら とっしょう)として、『新諸国物語 黄金孔雀城』『ふり袖小姓捕物帖』などに主演。
  • 昭和38年(1963年) - 松竹に復帰、歌舞伎の舞台に戻る。
  • 昭和51年(1976年)9月 - 歌舞伎座「高賀十種」のうち『伊勢音頭恋寝刃』(伊勢音頭)と『嫗山姥』(しゃべり山姥)で九代目 澤村 宗十郎(さわむら そうじゅうろう)を襲名。
  • 平成元年(1989年) - 自主公演「宗十郎の会」を開始。平成10年(1999年)まで開催。
  • 平成6年(1994年) - 芸術選奨文部大臣賞受賞。
  • 平成7年(1995年) - 紫綬褒章受章。
  • 平成12年(2000年)12月 - 歌舞伎座「高賀十種」のうち『若木仇名草』(蘭蝶)の蘭蝶をつとめ、共演した七代目中村芝雀五代目坂東八十助とともに切口上も行い、翌月の十代目坂東三津五郎の襲名を祝った。これが伝説の最後の舞台となった。
  • 平成13年(2001年)1月12日 - 心不全のため、大阪赤十字病院で死去。墓所は多磨霊園(14-1-9)。

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