渡部哲男とは? わかりやすく解説

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渡部哲男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/30 18:34 UTC 版)

渡部 哲男
Tetsuo Watanabe
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1979-11-29) 1979年11月29日(45歳)
出身地 愛媛県松山市
身長 181cm
体重 86kg
選手情報
登録番号 013656
所属 日本競輪選手会愛媛支部
ホーム 松山競輪場
期別 84期
脚質 追込
アマチュア経歴
1996-1999 新田高等学校
登録地
2000- 愛媛
業績
S級S班 2008
特別競輪勝利
GII ヤンググランプリ 2002
選手情報 KEIRIN.JP
■最終更新日:2008年12月22日  テンプレートを表示

渡部 哲男(わたなべ てつお、1979年11月29日 - )は、日本競輪選手会愛媛支部に所属する競輪選手日本競輪学校第84期生。師匠は三木裕次(56期・引退)。

経歴

新田高等学校卒業後に84期生として入学した日本競輪学校では在校競走成績1位(78勝)。

2000年4月1日にホームバンクである松山競輪場でデビューし、初勝利も同日。同年12月29日に開催されたルーキーチャンピオンレース立川競輪場)では、石毛克幸に次ぐ2着だった。

2年後の2002年ヤンググランプリ(立川)では、4角中位の位置から直線で鋭く伸びて優勝。翌2003年日本選手権競輪平塚競輪場)でGI初出場を果たす。

しかしGI、GIIでは苦戦続きで、上記の日本選手権以降、常時出場は果たすものの、3年あまりはこれといった実績を残すことができなかった。丁度その頃、渡部は吉岡稔真が主宰する「不動會」に入り、吉岡から練習等のアドバイスを仰いでいた。それが功を奏する形で、2005年3月に行われた地元の松山記念を制覇する。

2006年は大活躍の年となった。同年7月に行われた寬仁親王牌前橋競輪場)で初のGI優出を決める(4着)。続く同年8月に開催されたふるさとダービー富山競輪場)では、優勝した平原康多を鋭く追い詰め2着。また同年12月開催の全日本選抜競輪いわき平競輪場)でも決勝へ進出した(8着)。

2007年は、寬仁親王牌で再び決勝へと駒を進め、優勝した小嶋敬二に続く2着に入った。また初代S級S班選手にも選出された[2]

2019年3月10日に松山競輪場で行われた「第69回金亀杯争奪戦(G3)」で、14年ぶりに地元記念を優勝(G3優勝は9年ぶり5回目)[3]

脚注

  1. ^ “競輪界の頂点「S級S班」とは? KEIRINグランプリに出場できる選ばれし9名とは? 歴代S級S班一覧を一挙紹介 競輪まとめ”. netkeirin. (2023年12月16日). https://keirin.netkeiba.com/keirinmatome/detail.html?no=4887 
  2. ^ 渡部以降、四国からS級S班選手は出ていない(2024年時点)[1]
  3. ^ 【競輪】松山記念は地元の渡部哲男が制覇 番手から抜け出して5回目のG3制覇”. デイリースポーツ. 2019年3月10日閲覧。

関連項目

外部リンク




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