近藤龍徳とは? わかりやすく解説

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近藤龍徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/24 07:08 UTC 版)

近藤 龍徳
Tatsunori Kondo
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1991-01-20) 1991年1月20日(34歳)
出身地 愛知県名古屋市
身長 167.0cm
体重 54.0kg
縁故選手 祖父:近藤幸男(9期)
叔父:近藤賢治(53期)
父:近藤幸徳(52期)
兄:近藤良太(93期)
選手情報
登録番号 014870
所属 日本競輪選手会愛知支部
ホーム 名古屋競輪場
期別 101期
脚質 追込
アマチュア経歴
2006 - 2009 岐阜第一高等学校
登録地
2012 - 2025 日本競輪選手会愛知支部
業績
特別競輪勝利
GII ヤンググランプリ 2014
GII サマーナイトフェスティバル 2015
選手情報 KEIRIN.JP
■最終更新日:2025年5月5日  テンプレートを表示

近藤 龍徳(こんどう たつのり、1991年1月20日 - )は、元競輪選手愛知県名古屋市[1]出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第101期生。現役時代は日本競輪選手会愛知支部所属、ホームバンクは名古屋競輪場。師匠は鰐渕正利(65期)。

戦績

近藤幸男(9期。祖父)、近藤幸徳(52期。父)、近藤賢治(53期。叔父)、近藤良太(93期。兄)はいずれも元競輪選手という、3代にわたる競輪一家に生まれ育つ(祖母も女子競輪選手だった[2][3])。

自転車部の特待生として入学した[2]岐阜第一高等学校時代の2007年高校総体のケイリン[4]、チームスプリント[5]でそれぞれ優勝。また、これら一連の実績が讃えられ、岐阜県民栄誉賞を受賞。

その後、競輪学校に技能試験で合格し入学。在校競走成績は6位(11勝)。

2012年7月10日一宮競輪場でデビューし2着。初勝利は同年7月11日の同場。

2014年、1月からS級2班に昇進[6]。年末のGIIヤンググランプリ岸和田競輪場)優勝。

2015年、GIIサマーナイトフェスティバル函館競輪場)優勝。

2016年2月4日にFI初優勝(名古屋競輪場[7]第69回日本選手権競輪(名古屋競輪場)でGI初出場。続く第70回日本選手権競輪静岡競輪場)にてGI初優出[8](5着)。

2022年11月5日の防府記念3日目第8レース(特選)で落車(失格)し、大怪我を負ったことで長期欠場が続いた。その後も復帰に向けて練習は続けていたが、最終的に引退を決断。2025年5月4日に地元・名古屋競輪場行われた第79回日本選手権競輪での場内トークイベントに出演した際、現役引退を表明した[9]

2025年6月23日、選手登録消除。現役時代の通算戦績は、902戦141勝、優勝22回(うちGII2回)。

エピソード

  • 上記のヤンググランプリにおける優勝賞金500万円を、わずか2か月で使い果たした[10]

脚注

外部リンク




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