山藤浩三とは? わかりやすく解説

山藤浩三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/17 01:51 UTC 版)

山藤 浩三(やまふじ ひろみ、1944年10月23日[1] - 1984年5月9日[2])は、日本の競輪選手秋田県出身で、日本競輪選手会茨城支部に在籍していた。

経歴

秋田県立六郷高等学校時代の1962年大津びわこ競輪場で開催されたインターハイ、1kmタイムトライアルで優勝。その後法政大学へと進み、1964年東京オリンピックの日本代表選手となり、4000m個人追い抜きに出場し13位。また団体追い抜きにも出場した。

法大卒業後、日本競輪学校第25期生として入学。同期には荒川秀之助谷津田陽一らがいる。1971年新人王戦を優勝。その後も1981年頃まで特別競輪(現在のGI)に出場していた。

1984年5月8日、取手市の自宅で妻子3人と共にガス自殺を図り、自身を含め全員死亡[3]。当時の一般紙等の報道によると、多額の借金を苦にした一家心中であると見られている。

脚注

  1. ^ 山藤浩三 Profile: Olympics at Sports-Reference.com[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine.(英語)
  2. ^ 日本自転車振興会公示の選手登録削除日
  3. ^ 自殺データベース (8) 昭和50年代の自殺 (1975-1984)

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