安原昌弘とは? わかりやすく解説

安原昌弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/09 23:00 UTC 版)

安原 昌弘(やすはら まさひろ、1963年2月4日 - )は、大阪府出身のプロ自転車競技指導者。ニックネームは「ヤス」。現在プロサイクリングチームであるマトリックス・パワータグの監督を務める。

来歴

大阪府立布施工業高等学校卒業。1982年全日本選手権個人追い抜きを弱冠19歳で優勝を飾る。

1979年 スギノテクノ(現スギノエンジニアリング)に入社。1986年世界選手権初出場を果たし、その後9連続世界戦代表になる。

1991年、プロ転向。日本初のプロチームJPPに移籍。欧州のロードでも活躍。

1993年、全日本プロ選手権ポイントレース優勝。UCIワールドカップに参戦。

1994年、イノアック・デキレーシングチームへ移籍。全日本プロ選手権ポイントレース連覇を飾る。

1995年、アジア選手権ポイントレース優勝。

1996年、アトランタオリンピックに出場。ポイントレースで決勝進出、15位となる。

1998年、エザック・チーム・ル・ソレイユに移籍。一時期栗村修ともチームメイトだった。

2006年、実業団チーム「マトリックス・パワータグ」を設立。選手兼任監督となる。

2007年、現役引退し専任監督となる。

2020年、一般社団法人全日本実業団自転車競技連盟(JBCF)の理事長に就任[1]

2025年、不適切発言の不祥事を起こし、JBCF理事長を引責辞任[2]。その2日後、日本自転車競技連盟(JCF)の常務理事を解任された[3]

人物

  • 以前より、よく言えば豪快、悪く言えば乱暴な発言に賛否両論があった。2020年9月18日、ツール・ド・フランス第19ステージのJ SPORTS cycle road raceによるテレビ中継にゲストとして登場した際には、Twitter(現X)に賞賛の声とともに「ゲストの発言が不快」といった苦情の投稿が多数寄せられた[4]
  • 2025年2月16日に行われた東京クリテリウムでは、JBCF理事長としてメインレースのスタート前に挨拶した際に、前年にトラックレーススクラッチで世界チャンピオンになっていた窪木一茂がスタート地点の後方に位置していたため、「窪木先生前に出てこい」「雑魚ども道開けろ!」などとマイクで指示したが、これらが選手に対する暴言ではないかとして批判を受けた[注 1][6]

脚注

注釈

  1. ^ YouTubeにて配信された動画では編集により該当発言は消されているが、無修正の乱暴な発言がX(旧Twitter)で拡散された[5]

出典

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「安原昌弘」の関連用語

安原昌弘のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



安原昌弘のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの安原昌弘 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS