清瀬 保二
大分県宇佐郡四日市町(現宇佐市)生まれ。1919年、作曲を志して旧制松山高校を中退。上京して山田耕筰に師事するものの、そのドイツ的な和声学に違和感を持ち、以後ほぼ独学で作曲を学ぶ。5音音階を駆使した素朴なメロディーや、そこから生まれる独特なハーモニーには、独自の純粋で抽象的な作風が見て取れ、愛聴者も多い。30年、新興作曲家連盟(日本現代音楽協会の前身)の結成に参加。37年には初代委員長を努める。その後も社会の動きに関心を寄せ、同業者とともに日本の音楽の発展に尽くした。81年他界。弟子には武満徹、佐藤敏直らがいる。
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