深良用水の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 08:27 UTC 版)
富士山は成層火山のため、その雪解け水は富士山やその麓の地下を通って少し離れた場所に湧出しているが、他方で麓の一帯の表層部は火山灰を含む地質で水もちが悪かったが、その一部である駿河国深良村(現在の静岡県裾野市深良地区)の農民たちは黄瀬川の水を用水とし水田と畑地に利用していた。年貢米の石高増産を目的として、箱根外輪山に隧道を掘って芦ノ湖の水を新川経由で黄瀬川に混ぜて用水に利用し、深良地域の畑地の水田化を目指した。即ち畑成田を増やしたのである。その工事の請負人が友野與右衛門をはじめとする江戸の商人達であった。 芦ノ湖側と深良側の両方から手作業のみで掘り進めた。この2本のトンネルが出会った地点に1mほどの段差があるが、上流の芦ノ湖側は高めに、下流の深良側は低めに掘り進め当初の計画通りに出来上がった。(設計者は、トンネルの連結部で上流側が低く下流側が高くなる事を恐れた為である。)建設機械やコンピュータもない時代、当時の土木工事や測量の技術の高さを物語っている。また、作業者が酸欠にならないよう、トンネルの途中には息抜き穴も備えている。
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