消された「A・B」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 21:11 UTC 版)
「オスカー・スレイター事件」の記事における「消された「A・B」」の解説
トレンチが上申書の中で繰り返し述べたのは、とある人物についての疑惑であった。トレンチの主張するところによれば、事件発生直後にランビーがギルクリストの姪の家を訪れていたとの情報を得た彼は、事件から2日後の1908年12月23日に姪を聴取し、次のような供述を得たという。 ミス・ギルクリストの召使いのネリー・ランビーが7時15分ごろ、うちの戸口に来ました。あの子は興奮していました。呼びリンを烈しく引きました。ドアがあくと、転がり込むようにして入って来て叫びました。「大変です、奥さま、大変です。ギルクリストさまが殺されました。ダイニング・ルームで死んでいます。そして、ああ奥さま、私はそれをやった男を見たんです」と。私は答えました。「まあ、ネリー、えらいことになったね。誰なの、お前の知っている人かい?」。ネリーは答えました。「ええ奥さま、あれはA・Bだったと思います。確かにあれはA・Bだったと思います」。そこで私は言いました。「まあ、ネリー、そんなことを口に出しちゃいけないよ。……本当に確かだと思うんなら別だけど、さもなけりゃ、ネリー、口にするんじゃないよ」。するとあの子は、確かにA・Bだったと繰り返して言うんです。 — トレンチ供述書に添付された、ギルクリストの姪の証言より 上の供述に現れる「A・B」という人物は、再調査の終了後に委員会が纏めた白書の中ではこの2文字に置き換えられている。また、「A・B」について言及されていた記述も、白書の中ではミラーの権限によりすべて削除されている。 1909年1月3日の聴取において、トレンチらがランビーにスレイターの似顔絵を見せたところ、ランビーは「こんな人は知らない」と述べたという。そして、「A・B」について尋ねられたランビーは、「私が見たのがその人でないとしたら、ずいぶん変な話だわ」と語ったという。トレンチはまた、事件の翌日にグラスゴー市警の刑事部長、警視、そしてパイパー警部の3人が「A・B」の自宅へ出向いたとも語った。トレンチがこれを上司に報告すると、その件は警視が片付けたので、もう手出しできない、と上司に言われたという。
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