海軍から退役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/14 09:43 UTC 版)
健康を害したバックは、やがて現役から引退した。1839年3月18日には、ナイト・バチェラー(下級勲爵士)(Knight Bachelor) を授与され、その後も終生、北極探検への関心を持ち続けた。1859年には、海軍少将に昇任した。バックは、ジョン・フランクリンの最後の遠征隊が失踪した際には海軍本部の顧問を務め、また、王立地理学会の副会長も務めて金銀のメダルを受賞した。既に退役扱いにはなっていたが、バックは海軍本部の所属に残され、年功を踏まえて1869年には海軍中将に、1876年には海軍大将に、それぞれ昇進した。 バックはイギリスで高く評価され、数多くの栄誉を受けたが、フランクリンをはじめ、北極で一緒に活動した同僚たちの多くから嫌われ、信頼されない状態であったことも記録に残っている。ベックは、その粗暴さ、指揮官としての弱さ、利己主義、へつらい、短気などのために、様々に批判された。後半生においては、洒落男として多数の女性と浮き名を流し、顰蹙を買った。1846年、バックはアンソニー・ハモンド (Anthony Hammond) の未亡人と結婚した。 1878年6月23日、バックはロンドンのポートマン・スクエア (Portman Square) で死去し、亡骸は、ロンドンのケンサル・グリーン墓地 (Kensal Green Cemetery) に埋葬された。
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