洞爺湖温泉への進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/01 09:24 UTC 版)
歴史のある定山渓温泉には有力旅館がひしめき、土地や建物が狭く温泉の権利も持たない「福住」が対抗していくには条件が悪すぎた。何らかの手を打たなければと思っていた矢先に、洞爺湖温泉にある旅館「万世館」売却の話が舞い込んだ。 洞爺湖温泉は歴史も浅く、その中で「万世館」は屈指の規模を誇っていた。そして、正面に中島、遠くに羊蹄山を望み、湖岸からの眺めでは「最も美しい」と言われる絶好の位置にあった。 札幌での薪炭商の失敗から完全には立ち直れないでいた増次郎には、当時の金額で5-6万円という買収資金は大きかった。しかし何としても「万世館」を手に入れたかった増次郎は、それまでに培ってきた人脈に協力を仰いだ。1941年(昭和16年)5月、何とか買収にこぎつけ、同年6月に「万世閣」としてオープンさせた。 万世閣は、本館に客室が20室程と大浴場・小宴会場、離れに客室が5室と大広間があり、従業員は全部で17人前後であった。規模・立地こそ立派であったが、内部は老朽化が進んでいた。特に雨漏りがひどく、雨が降ると廊下を傘をさして歩くほどであったという。また、戦争が激しくなるにつれて国民は耐乏生活を強いられて観光どころではなくなり、客足は遠のく一方であった。老朽化した万世閣の修復になけなしの資金を投じてきた増次郎にとって影響は深刻であった。
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