治定見直しに於ける問題点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:05 UTC 版)
現在天皇陵とされる古墳の中には、その天皇の治世と古墳の築造時期が大幅にずれている例が存在する。継体天皇陵として治定されている太田茶臼山古墳はその例で、実際の築造時期は継体天皇の治世より約1世紀前にあたる、と推定されている。また、雄略天皇陵のように、文久年間に別々の円墳と方墳を強引に一つに繋ぎあわせた陵を明治に入り治定した例もある。逆に、天皇陵指定を受けていないが、考古学者によって天皇陵と推定されている古墳も少なくない。これらの古墳は指定を受けていないが故に学術調査が可能で、被葬者の同定が可能となった。 宮内庁は学術的信頼度については「たとえ誤って指定されたとしても、現に祭祀を行なっている以上、そこは天皇陵である」とし、治定見直しを拒絶している。近年では、「治定を覆すに足る陵誌銘等の確実な資料が発見されない限り、現在のものを維持していく所存」としている。これに対して井沢元彦は、現代考古学で明らかに別人と判明している墓を天皇陵として祀ることは先祖霊に対する侮辱であると指摘している。 天皇陵指定を受けていないが、天皇陵と推定されている古墳には、主に以下のものが該当する。 文武天皇陵:中尾山古墳(奈良県明日香村) 継体天皇陵:今城塚古墳(大阪府高槻市) 斉明天皇陵:牽牛子塚古墳(奈良県明日香村) 推古天皇陵:植山古墳(奈良県橿原市) - ここが初葬地で後に現推古陵へ改葬されたとする説もある
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