河野通訓とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 河野通訓の意味・解説 

河野通訓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 08:13 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
河野 通訓
時代 江戸時代後期
生誕 不明
死没 不明
別名 権右衛門
官位 対馬守
幕府 江戸幕府 使番、西丸目付、日光奉行山田奉行京都町奉行普請奉行作事奉行田安家家老
主君 徳川家慶家定家茂
テンプレートを表示

河野 通訓(こうの みちのり)は、江戸時代後期の旗本京都町奉行田安家家老などを歴任した。

略歴

西丸目付、日光奉行を務めた後、嘉永元年(1848年山田奉行に転任し[1]、さらに嘉永3年(1850年)には京都町奉行となる[2]。嘉永6年(1853年老中阿部正弘黒船来航への対応について広く意見を求めた際、諸侯諸士に並んで意見書を提出しており[3]、直後に普請奉行に転任[4]安政2年(1855年)には安政江戸地震が発生したため、普請奉行として江戸城内外の修繕を担当している[5]。その後作事奉行を務めた後、安政5年(1858年)から文久2年(1862年)まで田安家家老(当主:徳川慶頼)を務める[6][7]。安政6年(1859年安政の大獄に際しては、一橋家当主徳川慶喜への隠居慎の処分を伝達する役目を、一橋家家老竹田斯綏とともに務めた[8]

出典

[脚注の使い方]

参考文献

  • 渋沢栄一 『徳川慶喜公伝』 1巻 平凡社〈東洋文庫〉、1967年。ISBN 4-582-80088-2 
  • 維新史料編纂會 『維新史料綱要』 1巻 東京大学出版会、1983a。 
  • 維新史料編纂會 『維新史料綱要』 2巻 東京大学出版会、1983b。 
  • 維新史料編纂會 『維新史料綱要』 3巻 東京大学出版会、1983c。 
  • 維新史料編纂會 『維新史料綱要』 4巻 東京大学出版会、1983d。 
  • 東京大學史料編纂所 『大日本維新史料 類纂之部 井伊家史料』 30巻 東京大学史料編纂所、2019年。 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  河野通訓のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「河野通訓」の関連用語

河野通訓のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



河野通訓のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの河野通訓 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS