河野通継とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 河野通継の意味・解説 

河野通継

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/18 10:59 UTC 版)

河野 通継(かわの みちつぐ、生没年不詳)は、鎌倉時代中期の伊予国の武士。河野通久の子。弥九郎、上野介。河野通有の父。

嘉禎3年(1237年)に父から伊予国石井郷の同郷別名を譲られる。

文永4年(1267年)に父より惣領の地位と石井郷全域などの所領を譲られるが、父に妻妾との密懐(密通)の疑いをかけられて廃嫡・義絶にされていた兄の通時が、妻妾との密懐していたのは通継の方だとして鎌倉幕府に訴訟を起こす。

5年後の文永9年(1272年)に最終的な和与が成立しているが、通時と和与したのが息子の通有であることやその時の幕府の裁許状に通継死去の死去によって彼の密懐疑惑は審議しなかった旨が書かれているため、この時点で死去していたとみられる。

参考文献

  • 瀬野精一郎「河野通継」(『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞社、1994年) ISBN 978-4-02-340052-8
  • 石野弥栄「鎌倉期における河野氏の動向」(『国学院高等学校紀要』19輯、1984年)/改題所収:「鎌倉期河野氏の動向と鎌倉政権」石野『中世河野氏権力の形成と展開』(戎光祥出版、2015年) ISBN 978-4-86403-145-5



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「河野通継」の関連用語

河野通継のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



河野通継のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの河野通継 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS