河本の模索
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 19:41 UTC 版)
河本清順は1976年に尾道市に生まれる。清順という名前は映画監督の鈴木清順に由来し、映画好きの祖父が命名したという。広島県立三原高等学校を卒業後、京都市の服飾系の専門学校に進学。尾道と同じく「映画の街」とされる京都では足しげく映画館に通い、エミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』や小津安二郎監督の『東京物語』に感銘を受けた。専門学校卒業後は京都のアパレル企業に勤めていたが、1997年に帰郷しアパレル業界に就職した後、母が開業した飲食業(焼き肉屋)の経営に参加。 2001年に尾道最後の映画館が閉館した際、平凡な20代の女性だった河本は落胆するとともに、尾道市民として映画館を維持できなかった後ろめたさも感じた。「映画の街」であるのに映画館が存在しないことを友人に指摘されて心を揺り動かされた。日本中のミニシアターに足を運び、経営者や支配人から情報収集を行った。新潟市のシネ・ウィンド、群馬県高崎市のシネマテークたかさき、埼玉県深谷市の深谷シネマ、京都市の京都シネマなど、運営形態も運営費も多様な映画館を調査する過程で、銀行を改装して誕生した市民映画館である深谷シネマに感銘を受けた。尾道市と人口規模が等しい(約15万人)深谷市で1スクリーンの映画館が成り立っていることに大きなヒントを得る。深谷シネマはわずか1,000万円の資金で再建された映画館であり、開館4年目を迎えていた。
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