池田幾三とは? わかりやすく解説

池田幾三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 00:52 UTC 版)

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池田 幾三(いけだ いくぞう、1935年12月10日 - 、本名同じ)は、大阪府堺市出身の放送作家ラジオパーソナリティー新野新と「ペン企画」主宰。B型。既婚、1男1女あり。兵庫県西宮市在住。

来歴・人物

滋賀県近江八幡市生まれ。父は菓子屋でパンを売っていた。大阪府堺市浜寺公園の海辺で 1歳から約40年を暮らす。浜寺水練学校出身。浜寺昭和小学校浜寺中学校大阪府立三国丘高校(6期)卒業。1954年4月、早稲田大学文学部演劇科入学。印南高一ゼミに所属。1959年3月、卒業。映画の脚本家を目指し松竹大船撮影所での入社試験を受け、大島渚の助監督になる予定が、試験当日に寝過ごしてしまい映画を諦める。印南にテレビの構成放送作家を薦められ、1959年4月に東宝テレビ部入社。山路洋平、新野新ともに、東宝の三羽烏と呼ばれた。花登筺のもとで修行。結婚後の1964年に長男が生れる。174cm。股下77cm。喫煙者(喫煙歴62年)。

パンチDEデート」(関西テレビ)での桂三枝(現・六代桂文枝)・西川きよしの『一目あった、その日から恋の花咲くことも有る、見知らぬアナタに……パンチでデート!』のキャッチコピーは池田の最初のヒット作となる。「霊感ヤマカン第六感」「世界一周双六ゲーム」(ともにABC)などのクイズ番組、「鶴瓶と花の女子大生」(関西テレビ)などの視聴者参加型番組、「あまからアベニュー」(MBS)などのグルメ情報番組、「和朗亭」「ABCヤングプラザ」「枝雀寄席」「ざこば・鶴瓶らくごのご」(ともにABC)などの演芸番組と言ったように多岐に渡る番組構成や演出から、テレビドラマ脚本・演芸台本までも手がける。

1979年4月KBS京都ラジオで「池田幾三のザ・トゥディー(月〜金・午前9時半〜11時50分)」のラジオパーソナリティーとしてデビュー、豊富な人生経験がにじみでる、丁寧な話術で人気を呼ぶ。のちに「ザ・トゥディー」はテレビラジオ同時放送となり、1986年9月末で放送終了。

1993年KBS京都のラジオ番組「和多田勝の週刊金曜日」の和多田勝が病気で降板(翌年、急逝)。その穴埋めにパーソナリティーとしてKBSラジオへ復帰。2002年12月まで番組名を「池田幾三の週刊金曜日」「京都大好きラジオ・金曜版」「池田幾三のおたすけラジオ」と名前を変えながら金曜日の午後の名物パーソナリティーとして復活。

また関西放送作家きってのグルメとして知られ、テレビに裃を着て「なべ奉行」として出演した事も有る。KBS京都ラジオ番組でラジオのリスナーとの食事会「グルメ三昧」をKBS京都営業グループと企画し、毎月最終金曜日に和洋中・料亭からレストラン・ホテルを会場にリスナーと食べ歩く。またリスナーとの観光ツアーを阪急交通社と企画して北欧などにリスナーと旅行している。

酒井澄夫は、大学で同じクラスで同級生。

現在も、構成・放送作家として活躍する傍ら、KBS京都ラジオ土曜午後の「池田幾三のちょっと・サタデー」のパーソナリティーを勤める。

小学校の時、近江八幡市武佐町に2年間疎開していた。敗戦翌年の1946年に堺に戻ってきた。その時に見たアメリカ人のかっこ良さから、今でもアメリカ人コンプレックスである。

を食べるのが大好きで、おでんにはコロは必ず入れる。和歌山太地町の近くまでまとめ買いしに行くほどである。の皮も好物である。シロウオ踊り食いも過去に2回したことがある。

出演番組

テレビ

ラジオ

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