池ノ坂の池
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 18:31 UTC 版)
町の中央部にはかつて池があった。雑木林と崖に囲まれた、8000平方メートルほどの勾玉状の池で、農業用水として使われていた。正式な名称はなく、「池ノ坂の池」とも、数々の伝説やうわさがあったことから「魔の池」とも通称された。戸部刑場で首を斬られた囚人がこの近くを通り寺に運ばれる際にこの池で血を洗ったと言われ、事故や自殺などで水死する者が跡を絶たなかった。 1912年(明治45年)、神奈川県尋常中学校(現在の神奈川県立希望ヶ丘高等学校。当時は隣接する藤棚町にあった)の植物学教師であった松野重太郎は、通勤中に池のほとりに群生しているササがアズマネザサと異なることに気付き、親交のあった牧野富太郎に見せたところ、新種と判明。ヨコハマダケと命名された。葉の質が厚く硬く、アズマネザサより葉が鋭く尖り、メダケとアズマネザサと中間の種である。近くに刑場があり、池の水が血液の鉄分を含んでいたため変異したものと考えられている。ヨコハマダケは、松野が晩年を過ごした都筑区川和町の自宅跡と、南区の横浜市こども植物園に移植されている。 1920年(大正9年)9月30日夜、台風による豪雨で北側の堤が決壊し、千戸あまりの住宅が流され19人が死亡する大惨事となった。犠牲者の供養塔は町内の願成寺に建てられている。池は住民の陳情により埋め立てられ、関東大震災の後は民家が建ち並んだ。現在は、池の跡地は公務員住宅となっている。
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