江戸講と「江戸っ子狩り」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 04:50 UTC 版)
「江戸しぐさ」の記事における「江戸講と「江戸っ子狩り」」の解説
江戸しぐさは商売繁盛の秘伝であり、あまり公にされたものではなく、江戸商人の組織していた「江戸講」で口授されるものだった。 しかし、江戸開城の時、「江戸講」のネットワークを恐れた新政府軍が江戸しぐさの伝承を失わせ、江戸しぐさの伝承者である江戸っ子たちを虐殺した、その虐殺たるや凄まじいもので、ソンミ村虐殺事件、ウンデット・ニーの虐殺に匹敵するほどの血が流れた、と越川は述べている 。また、この時に江戸商人は江戸しぐさについて書かれた古文書も全て焼却し、江戸の空を焦がしたという。勝海舟は生き残った江戸っ子数万を両国から武蔵、上総などに逃がし、彼らは「隠れ江戸っ子」として潜伏した。池田整治は、江戸開城は官軍史観でしかなく、江戸しぐさ伝承者は、老若男女にかかわらず、わかった時点で新政府軍の武士たちに斬り殺され、次いで会津若松でも大虐殺があり、維新以降もこの大殺戮は続いた。この大虐殺は世界金融支配者に操られた薩長によるもので、現在日本も薩長に支配されているため、この事実が隠ぺいされたと述べている。 江戸しぐさを伝えていた種々の江戸講は国家総動員法で解散させられた。秘密結社として存続していた江戸講はGHQに認められ、江戸講は薩長から日本人を救ったマッカーサーに感謝したという。また、江戸しぐさはニューヨーク五番街でも一世を風靡し、スターズ・アンド・ストライプス紙に掲載されたとしている。
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